これまで学科構成については、①産業マネジメント学科と②福祉医療学科の二つの設置を提案しました。
次に地方経済の活性化に最も重要な「スタートアップ学科」について提案したいと思います。
「スタートアップ学科」とは要するに創業・起業家育成を目的とするものです。
今、地方は少子化や事業承継難で、どんどん企業が減少しています。企業が減少(解散、廃業、倒産)すれば、地方法人税や固定資産税が減少します。それに雇用がなくなれば極端な税収不足に陥ります。国は財政の収支バランスのこともあり、GDPを600兆円にしようとしています。
鳥取県も必死です。経済の成長戦略の中心に、自動車、医療機器、航空産業の3つを据え、県内GDPを増加させる計画です。そのために、エンジニアを養成し先端企業に供給する人材育成を目的とした職業能力
開発総合大学校を平成30年度計画で新しく設置します。そして人材供給をセットで先端企業を誘致して行く考えです。
皆さん、よく考えてみて下さい。鳥取県には鳥大工学部もあれば米子高専もあるのですよ。なのになぜ、専門大学校を創設(厳密には誘致)しなければならないのでしょうか。話が横道にそれますが、既存の工学系の学生が7、8割も県外に就職してしまう現状に加え、今の工学系では3大産業に対応できないからなのでしょうか。一番に、学生の都会地への流出防止が専門大学校設立の要因になっていると思っています。
くどいようですが、県外進学を希望する学生の理由は﹁希望する学部・学科が無い﹂が33・8%と最も多く、次に県内に魅力がある施設が無い(15・2%)、3番目に県外進学が就職に有利(12・9%)となっています。
3番目の理由はそのまま「希望する学部・学科が無い」ことに加え「県外進学が有利」とは都会地の多様性のある仕事と給与の高さに魅力を感じていると分析できます。

「スタートアップ学科」は産業の劣化を防止し、地域の産業を活性化することになります。勿論、リスクもありますが、ベンチャー精神を育むことが地方創生の大きな力となります。
この辺りで少しまとめてみます。大学名は「米子専門職大学」。目的は地方創生を任う人材を育成し、地域経済社会に供給することです。目的を達成するため、「産業マネジメント学科」「スタートアップ学科」「福祉医療学科」の3学科を設置します。学生数は400名程度ですから、小型大学といってよいでしょう。 立地、建物規模は米子中心で、居抜きの建物を使用し極力費用をかけません。
そして、リベラルアーツとして地域の地政学や歴史文化は勿論、地域産業史などを学び、基礎科目とします。さらに言えば、第4次産業革命の進展はあらゆる産業に串刺しになりますから、この分野は必須になります。
以前、全業種に適応するコンサルタント能力を身につけた学生の育成に言及したことがありますが、その基本となるのがわかりやすく言えば中小企業診断士の受験科目の必修化です。

経営学の基礎をたたき込み、後は業種業態によって様々に変化する経済事象に対応して行く、そういう人材の育成ということです。
米子といわず、山陰地区さらには日本海沿岸は戦後ずっと陽の当たらないエリアです。一時、日本のチベットなどと陰口を言われたこともあります。ですから田中角栄は昭和40年代後半﹁「日本列島改造論」で、高速道路で雪深い新潟と東京を直結して企業誘致をし、雇用を生んで出稼ぎをなくそうとしました。
大平、竹下と続く歴代内閣は都会地と地方の格差をどうやって埋めて行くか、どうバランスをとるか、その歴史だったように思えます。
昭和30年代後半、池田内閣で高度成長期に突入します。40年代に入ると公害や都会と地方の格差が鮮明になり、政治問題化します。
日本の産業構造は人口が集中し人手を集めやすい、そして交通の便利な太平洋ベルト地帯に集中し、工業地帯を形成して行きます。
田中内閣出現の10年前の昭和37年には、偏向する工業地帯を是正しようと、新産業都市法が制定されました。中海圏域も指定されます。それでできたのが竹内工業団地、崎津工業地、安来市の工業団地などです。
当時、「新産都」指定でキューポラが林立する工業地帯が出現すると期待されました。ところが一向に企業誘致が進みません。今は竹内は商業施設が建ち、崎津はメガソーラー基地になっています。企業進出がうまく行かなかったのは多分、人手が獲得しやすく、消費地に近く、しかも輸出に便利な港湾などが山陽筋では進んでいたからでしょう。とにかく都会地からの距離が遠かったのが、新産都失敗の一つの要因と思います。
それでも平成元年は中国縦貫道米子道が開通しました。でも時既に遅しで、工業立地は重厚長大の臨海型から塩風を嫌う軽薄短小の内陸型へと移ってしまいます。
GDP世界第2位になった時の日本の恩恵は、山陰にはほとんどなかったということでしょうか。その代わり若い労働者の「金の卵」を供給し日本の高度成長を支えました。逆に工業化しなかったことで山陰の自然が結果として守れたことは大きなメリットですが。

そして「失われた20年」の到来です。このデフレ経済によって地方経済は一変します。身近で言えば、鳥取三洋やナショナルマイクロモータは消減してしまいました。この要因は経済のグローバル化です。製造業は安い労賃を求めて中国や東南アジアに進出しました。その結果、地方は過疎経済になってしまいました。
グローバル化以前は、マイクロモータの下請や縫製工業など、農村地域工業導入促進法などの支援で、郡部に工場が立地し、周辺の主婦パートを雇いました。当時、米は政府が買い上げていましたから、老夫婦が米や野菜を作り、若夫婦は勤めて現金収入を得るパターンでした。ですから、当時の農家は裕福だったと思います。
でも、今は違います。「失われた20年」のデフレで、企業は海外に出、残った企業は価格競争に陥って収益を上げられません。こうした厳しい中での地方は﹁地方創生﹂を生き抜かなければならないのが現状です。
「米子専門職大学」は公務員を大量生産する大学ではありません。あくまでも民間に入って、収益を上げ賃金を上げ、税を払って地域を潤すための人材育成をする大学にすべき、と思います。 (完)