「人新世の『資本論』」が話題となっています。今の気候変動、コロナ禍、所得の格差など人類が資本主義流の経済成長至上主義を捨てない限り、つまりは方向転回しない限りは文明は崩壊する、というのです。

マルクス「資本論」はソビエト連邦の終焉でそれこそ終焉した思想だと思っていましたが、「経済成長至上主義」が気候変動を引き起こし、新型コロナを生み出しているとして、経済成長至上主義を批判します。

そして著者の斉藤幸平氏は「SDGsは大衆のアヘンである」とまで言い切っています。マルクスは宗教をアヘンとして攻撃しましたが、アヘンの現代版は「SDGs」だというのです。「SDGs」は皆さんご存知のように、世界に広がり、各国が、職場が、人々が取り組む運動までに発展しているのですが、どうも「持続可能な経済成長」をゴールとする思想がこの本の と合わないようです。

確かに資本主義は増殖して行かねば崩壊してしまいます。利益を出すためには生産の3要素、土地(自然)の所有から始めなければなりません。原初的には労働にによって自然を人工的に変化させ、労働(資本)、大量生産、大量消費のチャンネルをつくらないと、利潤、賃金が発生しません。斉藤氏が指摘しているように大量消費型の資本主義が問題だというのです。

人類の「消費 」に論考を加えた思想家がこれまでにもいます。マルクス後のフランスに現れたジョルジュ・バタイユです。彼は著作の「呪われた部分」で、経済の合理性を超えた過剰な消費、ここから逃れられない宿命的な人類を描いています。

では一体どうしたら、我々は節度ある経済合理性で創造して行くのでしょうか。やはり社会主義、共産主義の原点に戻ることでしょうか。
ここで私は米子でよく開催される「宇沢弘文記念フォーラム」を思い出します。宇沢論は解説によると、マル経でも近経でもなく、制度学派(修正資本主義)という、つまり資本主義の行き過ぎたところを是正し、社会主義の良い所を取り入れる。例えば公共財、準市場財を「社会的共通資本」として捉えるのです。そして民主主義的手法でその扱いを決め公平、平等を実現するというのです。

「社会的共通資本」をもう少し詳しく言えば、「自然環境」と「社会的インフラ(道路、水道など)」「制度資本(教育、医療、司法金融制度)」の三つの要素を挙げています。
「社会的共通資本」の考え方を脱資本主義論に注入すれば、過剰消費のブレーキになるかも知れません。気候変動を契機にもう死んだと思わせていたマルクスの「資本論」が再度蘇りました。SDGsまでも否定したこの「人新世の『資本論』」、どこまで共感を集めるのか注目です。
しかし、大きな疑問が残ります。経済成長至上主義を止めたら、次はどんな経済社会がまっているのでしょうか。著者の考えは少しは理解できますが、その後の世界の輪かくが判然としません。(つづく)