「記者」という職業柄、様々な方とお話をする機会があります。その中でも最近印象に残っている言葉に「リベラルアーツ」というのがあります。
これは米子高専の前校長の齊藤正美先生からよく聞いた言葉でした。リベラル(liberal)は知っていましたが不覚にも(?!)アーツ(arts)までは知りませんでした。英辞書を引くと「教養科目」「大学で学ぶ一般教養科目」とあります。それを工学専門の米子高専の校長先生から度々聞くことになりました。「工学系の専門学校に何故一般教養が必要なのか」最初は違和感を持ちながら聞いていましたが、それが日本の工学の、あるいは経済のグローバル化に大いに関係があることを知らされました。
つまりこれまでのように「理工系」「文系」という区別はもう古く、理と文の垣根を超えたジャンルが重要な役割を使う時代になったということのようです。
齊藤先生は高専の学生に対し、社会科学や人文科学の重要性を説き、単なる専門だけではなく幅広い人間形成を目指していたと思います。

環境問題の追及がリベラルアーツの重要性を生む

何故、理工系に「リベラルアーツ」が必要となったのか。それは物事の仕組みを考える時、対人間との関係性が重要視されるようになったからだと思います。環境学やIT、AIと工学が進歩して行くと、それは人間学に立脚したものでなければならない、との認識が深まったからだと思います。なかでも公害汚染問題は何のための産業革命か、人間を滅ぼすための豊かさの追求かと批判され、この二背律の解決の手段に社会・人文科学の歴史的な考察を含め研究が進み、リベラルアーツの重要性に行き着いたのではないでしょうか。

人間学としての教養が重要

しかし過去の問題だけではありません。これからはITの猛烈な進歩で、「フィンテック」や「IOT」なるものが登場してきました。これらのシステムはビッグデータとともにクラウドと結びつき、とてつもない巨人に変貌して行きそうです。その裏では人間科学的な研究も同時に発達し、ますますリベラルアーツの重要性は高まります。
つまり、経済の合理性の追求だけではなく、人文科学・社会科学がもつソフトな人間学としての教養こそが重要視されてくるのではないでしょうか。
こんな事例があります。文系で競争戦略論を専攻したある学生が、銀行系のシンクタンクに就職しました。そこはエコノミストや経営コンサル業、さらに銀行のシステムの開発部門から成り立っていました。てっきりエコノミスト・コンサル部門に配属になると思いきや、何とシステム開発部門に配属されたのです。
彼はシステム開発は専門外でしたから得意ではありませんでした。しかし会社側からみると、銀行のシステム開発をするに当って競争戦略的に「他社、自社の強味、弱味」の分析から始まり顧客への利便性など、人文・社会科学的に独自の視点をもった開発支援を求められました。ですから、社会に出ると理系も文系もありません。要するに多様性を求められるのです。簡単に言えば「多能工」です。
別の見方をすれば、そうした人材を多く持つほど競争に強い会社になります。

「グローバル化」のアンチテーゼ

実際のところ、地方の中小企業はなかなかそこまでは行きませんが、このグローバル化の波は5年、10年後に必ず地方にもその波がやってきます。
それはTPPによる農業分野に一早く現れるのではないでしょうか。グローバル化が古くからある秩序を壊すことになりかねませんが、リベラルアーツの知見で乗り切れたら、と思います。

(山陰経済新聞・野口主幹)